僕トク的なアレ

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抽象度を高める。-なぜ思考することが必要なのか-

僕は批評家が好きではありません。
理由は単純であり「行動無き言葉は無価値」だという基準があるがためです。
これは自分にとって向けている言葉なので、ジャーナリストで尊敬する方も存在しますし、もちろんメディアなども大好きです。

とはいえ質の良い行動。言葉を変えると「人生観」とも言えますが、そのためには"思考する"というプロセスが必須だと思っていまして、その点において彼らはプロであるなと、とても尊敬しております。
で、僕はその時間が全然取れていない現状に対して非常にマズいなーとなっているわけで。。



では"思考する"とはどういったことかと言いますと、抽象度を高める作業なのではないかと思うのです。
襲いかかってくる日々のやりたい・やらなければいけないタスク処理に目の前のことで頭がいっぱい。。
そんなことは働く人であれば誰でも経験しているかと思います。

ですが目の前の事ばかりやっていると時に痛烈な不安感に苛まれたり、効率の良い仕事や面白い人生・自己実現は得られにくいのことも事実。

つまり「○○は××でなければいけない!」という反射的な決めつけ思考になってるせいで、否定する価値観しか持てなかったり本質的な解決手法ができないことで自らの人生を暗くしていたり、つまらないものにしている可能性が高い訳ですね。
これは単に、抽象度が低いことが原因なのではないかと。


抽象度を高めることによって、この問題は簡単に解決します。
下に例を引用します。

「私が苦しいのは、○○のせいだ」
    ↓
「私が苦しいのは、○○のせいだ、と思ってしまうこの考え方のせいだ」
    ↓
「私が苦しいのは、○○のせいだ、と思ってしまうこの考え方を信じているせいだ」
    ↓
「私が苦しいのは、○○のせいだ、と思ってしまうこの考え方を手放すことに対する恐れがあるからだ」
    ↓
「あらゆる苦しみは恐れから生まれる」
    ↓
「恐れは、私たちがおおいなる一つのものから分離した、個別の存在だと信じていることから生じる」

引用元:抽象度を上げる : ハッピー☆マトリックス




どうでしょうか。
「私が苦しいのは、○○のせいだ」よりも「私が苦しいのは、○○のせいだと思ってしまうこの考え方を信じているせいだ」の方が本質的な考え方だと思いませんか?


さすがに「恐れは、私たちがおおいなる一つのものから分離した、個別の存在だと信じていることから生じる」まで思考がいくと、哲学っぽくなるので一般の方は現実的ではないかもしれませんが、抽象度を高めることによって「なぜ」や「そもそも」と言った前提を覆すような思考を展開することができます。



これができるようになると、つまらないことで悩む必要もなく楽に人生を生きることもできます。
新しい可能性を模索してイノベーションを起こせるかもしれません。


哲学や論理学はリベラルアーツと呼ばれていますが、まさにその名の通り。
自由に自由に生きるためには必要不可欠なスキルなのだと僕は思います。


たくさん本を読んで考える作業は時間がかかってしまいますが、本当に大事だと思います。
神よ、もっと時間くれ。。。。

僕に時間がないのは、すべて神のせいだ!