クリエーターがコンテンツを創るだけでは注目されない厳しい現実について。
「ブログ飯」なんて言葉やプロブロガーなんて単語も耳に馴染んできましたね。
Amazon.co.jp: ブログ飯 個性を収入に変える生き方: 染谷 昌利: 本
今はネットのおかげで個人単位の情報発信が容易くなっています。
色々と情報発信をしってクリエーターになろう!なんて煽り文句も久しい訳なんですが、いざやってみると全然上手くいきませんよね。
PVも全然とれないし、あの有名ブロガーみたいなサクセスストーリなんて無理じゃん!って思うのもわかります。
よく考えると当たり前のことなんですけどね。
時代はコンテンツよりもコンテクストになっています。
コンテンツを生み出すクリエーターはレッドオーシャン
ネットのせいだ!と言うと、語弊があります。
確かに加速させたのはネットなんですが、文筆、音楽、イラスト、動画。などなど。
コンテンツ業界なんてネット環境が無かった時代から既にレッドオーシャンですよね。
各コンテンツにプラットフォーム(pixiv、Youtube、ニコニコ動画、SoundCloud、小説家になろう)が形成され、その中で初心者用の勉強コンテンツやWEBアプリで創作ツールが提供されたことにより、以前と比べて参入コストは格段に下がりました。
その結果、あらゆるコンテンツは既にアマチュアとプロの境目が無くなってますよね。
そして全体的にコモディティ化する訳なんですが、単純にコンテンツを生み出しても見向きもされなくなっちゃうんですよね。
コンテンツではなくコンテクスト
コンテクスト(文脈)という言葉があります。
コンテクスト(Context)あるいはコンテキストとは、文脈や背景となる分野によってさまざまな用例がある言葉であるが、一般的に「文脈」と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。
デザインやマーケティングの世界でよく使われる言葉なのですが、今回の例で言うなれば
「ユーザーが、そのコンテンツを触れるに至った文脈。」
あるいは
「クリエーターが、そのコンテンツを作成するに至った背景。」
この2つを上手く抑えられているコンテンツがユーザーに認知してもらえると思っています。
というか、昔からある常識なのですが、今後この傾向が更に強まるという事ですね。
つまり、コンテクストを制するコンテンツは質を凌駕する。と言っても過言ではないでしょう。
1つ分かりやすい参考例を挙げると、
最近、流行りのYoutuberのHIKAKINさん。
HIKAKINさんの「ユーザーが、そのコンテンツを触れるに至った文脈。」
彼のコンテンツは低年齢層に向けた物であり、動画の尺もネットのコンテンツにしては比較的長めに作られています。
それは子供をターゲットにしているため、大人より時間がある為です。
投稿時間も子供が手持ち無沙汰になりがちな夜7時。
夜の7時って宿題も終わって、ご飯を食べて寝るにはまだ早いって時間ですよね。
つまり子供生活的な文脈に上手く最適化させたコンテンツという訳です。
コンテンツは作って終わりではなく、ユーザーからすると場所や時間も含めてコンテンツそのものの体験な訳です。
HIKAKINさんの「クリエーターが、そのコンテンツを作成するに至った背景。」
HIKAKINさんは売れていない時期からスーパーでバイトをしながら動画投稿をしていました。
その背景にはbeatboxが好きで沢山の人に自分のbeatboxを見て欲しいという情熱から来ています。
そしてbeatboxのある動画が人気を集め、様々なイベントにお呼ばれしている内にうなぎ登りでチャンネル登録者が増えて今の人気になりました。
このように、ユーザーはコンテンツだけでなくコンテンツの作成者の背景までも付加価値として考慮する人が増えたのでクリエーターの背景。つまり情熱を伝える事が出来ないと競合と差別化するのは難しい時代になってきました。
逆に言うと、クオリティで低くても、クリエーター別の付加価値で人気が出ることも実際に有りうる訳です。